ヒーロー

52歳のジャッキー・チェンを見て思ったこと。
ジャッキーは長嶋茂雄に近いかもしれない。

わたしの幼い頃は、長嶋はもう長嶋監督だったので、長嶋のかっこよさが良くわかっていなかった*1。現役時代の長嶋を知っていて、長嶋にあこがれていた人が、ご本人と対面、握手を求める姿のテンションの上がり方はハンパではない*2。子どもに帰っている。例えが偏るが、中居正広の語る長嶋と中村勘三郎の語る長嶋はまったく別ものだってこと。勘三郎、普通じゃないもの。子供化している。
私の世代なら、愛嬌とかっこよさを兼ね備え、握手する時舞い上がってしまうヒーローの中に、ジャッキー・チェンは確実にいると思うな。ジャッキーに会ったら子供化しそう。自分のフィールド以外へでかけていっても、にこやかに存在しているところも長嶋の存在感に似ていると思う。多額の寄付がいやみにならない人ってところも長嶋と似ている。一代限りでジュニアは望めなさそうなところも似ているか?怒られるな。
とにかくお二人とも、物凄い多くの子供から、大人、老人にまで憧れられても、それを受け止められる度量と徳を持っていらっしゃるってことだ。ってまとめか?

わたしのジャッキーの場合は実は石丸博也吹替えのジャッキーだから、会うことは不可能なんだが。

私的には勘三郎もそうだな。あったら拝むかも。泣くかな?
この人は、徳というより愛嬌だね。大勢の人に愛されても大丈夫なように育っているからすごいんだ。いいとこも悪いとこも含めて愛されるほんとに生粋の役者*3
以前、何冊か勘九郎時代の本を読んだんだけど、面白い人なんだよね。活字になっているからかなりまともになっているけど、素は物凄そうだ。ほんと、保存しとかなければいけない人種だよ、歌舞伎役者って。
あ、この前、衝動買いした文庫の中にも勘九郎本があったな。
忘れなかったら、明日読む本はこれにしよ。

*1:長嶋が特別な人間だと意識したきっかけは、野球界、家族、友人、知人、一般人までが語る物凄い天然っぷりの長嶋列伝を聞いてからだった。「長嶋ってスゲエな」と思わざるを得ないエピソードの数々だった。長嶋に会ったら、きっとなんかおもろいことやってくれんかな的目線で見てしまうのではないかな。

*2:病後、もうそんな光景はのぞめなくなってしまった。

*3:比喩でなくそう運命付けられ、邁進する以外道のなかった、大看板世襲の歌舞伎役者