四半世紀前の土曜日はとてもいい日。

書いてて自分の歳が恐ろしくなってきた(笑)。

かつて、学校週五日制導入前、土曜日は「半日」でカレーの日だった。
学校に行って、昼過ぎには家に帰る。「秀樹カンゲキ」「土曜日はカレーの日」とハウス食品に洗脳された子どもは、昼飯が毎週カレーでも疑問を感じない*1。お昼を食べたら、お習字教室や土曜日学校*2に行ってもまだまだ友達といっぱい遊べた。
次の日が休みだからテレビも少しは甘くしてもらえた。
ドリフもひょうきん族も、ジャッキー・チェンも土曜日だった。
楽しいTVは土曜日ばかり。
細かいことはぜんぜん覚えていないくらい小さい頃。小学校低学年だったと思う。
土曜日、仕事が終わった父と親戚の家に泊まりに行くことが時々あった。
行程は2時間半ほど。7時までに食事を済ませ、車で出発。一時間ほど走って、途中で一件、親戚の家に寄る。子供が喜ぶからか、いとこの兄ちゃんたちが好きだったのか、そこんちにあがるといつも全員集合がかかっていた。大人の話なんかつまらないので、当然テレビを見る。全員集合の最初のコントからゲストの歌ぐらいまで見ることが出来た。30分程でその家を辞去。更に1時間、街灯もない真っ暗な道を走って、9時半くらいに目的地の親戚に到着する。そうすると、ちょうどTVではGメンや金田一シリーズがかかっていた*3。ここんちも全員集合を見てたんだろうな。きっとこどものいる家はみんな見てたんだ。家では9時にはテレビを切られていた小学校時代は、親戚の家で見る遅い時間のテレビは新鮮だった
もう少し大人になって、わたしも漫才ブームの流れでドリフからひょうきん族に切り替えた。当時の小学生としては、作りこんだステージコントより、スピード感あるスタジオコントが大人っぽく、いまっぽく、かっこよくかんじたような記憶がある。また、少しわたしも大人になってきたので、ドリフに時々あるお色気系シモネタ*4が耐えられなくなっていたってこともある。おんなじことを話していても「おねーちゃんとエッチする」っていったほうが、からっとしていてかっこよく感じたんだと思う。(後で考えたことだから、正確ではないかもしれない)。山下達郎やEPOの歌も好きになったな*5

ひょうきん族を見ていたから、土曜ゴールデン洋画劇場につながっていったように思う。
酔拳』『蛇拳』『少林寺木人拳』などを見て、ジャッキーに夢中になった。学校で盛り上がったというより、兄弟で盛り上がった記憶がある。しかし、よく放送していたから、人気はあったよね。男子にはMr.BOO!とかも人気だった。デブゴンとかもあったね。

本当、土曜日は最高だった。

*1:本当にカレーを喜んだのは母親たちかも。作るの簡単だし、子どもも文句言わず黙って食べるし

*2:町の教会の先生が、田舎の教会に来てくれる。本部の教会は日曜学校をしなければならないので、田舎は土曜日。白い軽自動車で、スピーカーから音楽を流し「土曜日学校の時間です。皆さん教会に集合しましょう」と呼びかけると子どもがわらわらよってくる。今考えるとちょっとこわい。大人はどう思っていたんだろう。わたしは未就学児の頃が一番熱に通い生涯唯一の皆勤賞だった。

*3:余談ですが、築三百年と聞く親戚の家で見る金田一は怖いこと怖いこと。わたしは20歳過ぎまで金田一がまともに見られなかった。

*4:今聞いたらなんてことがなかったんだが、志村に色気があったんだろうね。カトちゃんは平気だったもん

*5:そうか、その頃からニューミュージックがはやってたんだ