根拠なし!②ひな壇芸人はボケ・ツッコミの両刃の剣の使い手だ

再びツッコミについて考える。
アメトーーク』「元コンビ芸人」での土田のボケとツッコミ話*1は興味深かった

  • コンビ芸としてのボケはツッコミがいて初めて成立する
  • ピンのボケは、ツッコミがなくても成立しなければならない
  • 大勢のトーク番組でのツッコミは司会者1人なので、コンビの突っ込みはボケも出来なくてはならない。同様に、ボケが乱立する場では、ツッコミの技術も有効な強みになる。(ボケとツッコミの両方出来なければならない)

すごく荒く分けるとボケは話し手、ツッコミは聞き手だ。話し手であり、聞き手であるって、ひな壇芸人のことだよね。土田の話は今田・東野の書き起こしをしたと言う紳助チックな逸話がある。これらはひな壇芸人研究の中で出てきたんだろうな。
ボケ・ツッコミを話し手・聞き手とすると、テレビを見ている人は、聞き手以外のポジションをとりようがないから、ツッコミ目線の見方をするってのも当たり前だ。ツッコミ役の人は、見ている人に、ボケの楽しみ方のガイドをしているようなものかも。ツッコミの技術は、話のテンポ、間をコントロールする技術であると同時に、注目点を明確にするフラッグでもある。全体の流れのなかの「どこに」「どんな言葉を」「どの強さで」「どのくらいの分量」挟むかという選択で、ツッコミのタイプもおのずと違ってくる*2。ボケの受け入れやすさ(聞きやすさ、わかりやすさ、面白さはココで分かれる。わたしは軟派なので、過剰なものをには腰が引けてしまう。また、あまりお笑い偏差値が高くないので、まずキャラのソフトなツッコミにはまり、ボケが浸透してくるようなはまり方が多い。どぎついボケやシュールなボケを面白いと思えるきっかけがツッコミになっている。これがだんだん定着していくとテレビにつっこみはじめるようになるんだけどね(笑)わたしは老人か?
でも、今の天然&低偏差値芸人やアイドルの需要は「見下し病」ばかりではなく、お笑いブームにより、ツッコミが広まったからかもしれないよ
以上、憶測込み。失礼しました。

*1: ちょっと前にわたしが考えてみたことの具体的な話が聞けて、なんかうれしかった。

*2:どつき、ノリツッコミ、例えツッコミ、ユニゾンツッコミ、キレツッコミ