燐光群『さすらい』

基本的に、映画も演劇も、学校の授業でも、どんなにつまらなくても眠らないのがポリシーのわたし。もちろん抵抗できないことはあるんだけどね。
昭和天皇崩御の日から、大葬の礼の日までの、記憶をなくした男と彼を連れて行く仕事を請けた女、そして彼らに纏いつく「逃亡者」と名乗る男の旅。
道を模したような細長い舞台を挟んで観客席が設置されていた。開演前に見回すと、長い舞台をカバーする照明がぎっしり。客席案内をしてくれていた黒系の衣装の方々。席数のわりに客席案内の配置が多いなあ、と思ったら開演してみたらコロスだった。コロスが劇場に紛れ込みながら、物語は進んでいった。客席脇にコロスがいるってことは、観客もピリッとするかと思いきや、演劇初居眠りを体験することになろうとは…。それも5、6回。えー、まじでー。
今回の観劇は、授業中みたいにうっかり落ちてしまった眠りだった。対面の客席だったので、本当に眠るとは思わなかった。不覚。みっともない…。
わたしはとても貧乏かつ貧乏性なので、お金を払ったら、きっちり元は取り返す。つまらない映画や芝居でも、お金がもったいないので最後まできっちり見届けて、一生悪口を言い続けるくらいの貧乏なのだ。初見で寝ることはほぼないと自負している*1。映画で唯一眠ってしまったのは『シュリ』。アクション映画なのに。わたしの眠りは同じタイプの緊迫感が続くと出るのかしら…。*2
そして、わたしの貧乏性は、高い金払っているから、意地でもいいとこ探しをする貧乏なのだ。今回の見所は、鴨川てんしと猪熊恒和という狛犬の二人だった。年齢を行った男性が劇空間に仕える姿を見ると感動する。確信はもてないけど、コロスは年配者のほうがよかったかもとちょっと思った。
『さすらい』は初見なので、もともとの劇の形はわからないが、コロスって、もともといたの?船着場では収まっていた大人数が、コロスでは生きなかった気がするんだけど。「社員」の繰り返しも、笑いを生む意図ではなかったのかなあ。ちょっと空まわってる?何か、時代設定のみならず、劇の形も17年前みたいだったかも。
まあ、たわごとです。ごめんなさい。
わたしの頭が悪いのよ。

*1:2度目、酒入りはもちろん寝るけど。

*2:寝ないポリシーの例外として、必ず眠るのはクラッシック。これはとても気持ちよい眠りなので、むしろ進んで眠りにいく。また、妄想が走り演奏そっちのけになるのもクラッシック。これも日常では体験できない楽しさなので、むしろ進んで妄想しにいく。