方言と共通語

上方由来の漫才は、関西弁で聞くことが多い。寄席でなく、TVで見ることがほとんどなので、単語までわからないようなことはない。語尾変化やイントネーション、全国的に認知されている単語が少しあるくらいで、「訛り」程度のものになっている。席西のお笑いの人も、東京に進出すると関西弁が東京寄りの関西弁になっていると聞くけど、このことなのかな。
基本的に、どこの国だろうが地方だろうが、表現がマンガだろうが映像だろうが、コントだろうが漫才だろうが、落語だろうが、どこでもなんでも面白いものは面白い。腹抱えて笑ってしまう。でも時々ふっと思ってしまうんだ。「東のことばで笑いたい」って。すごく極端な例を引くけど、アメリカンジョーク「どこが面白いん?」って引くとき、無意識の承認事項の差、文化の差、生活土壌の差が障害になっていることに気づく。この極々小さい現象が関西弁の漫才を聞いているとき起きているのではないかと思う。たとえゲラゲラ笑っていたとしても。
慣れなんだろうけど、江戸落語上方落語だったら、どっちも面白く聞けるんだけど、どうしても江戸落語で膝をたたいてしまう。ニュアンスっちゅうか、ディテールっちゅうかがすんなり体に落ちるんだと思う。わたしは江戸弁使いではないけど、ことばのうねりは関東風だ*1。ことばも体から生まれるものだから、慣れ親しんだものは反射のようにぴたっと来る。しゃべくり漫才でもこの感じを味わいたいんだよねえ。地元のことばなんてローカルなことをいうとクオリティに問題が出てくるので、せめて標準語、共通語で笑いたいなあ。*2
まあ、本当はわたしが怠け者ってことなんだよね。
本気で笑いたければ、ニュアンスが腑に落ちるまで関西弁をがんがん体に入れていけばいいんだから。

*1:北関東の方よりは共通語に近いイントネーションで話しているが、時々単語のアクセントが地元風になまる。

*2:重ねて言いますが、関西弁大好きです。ゲラゲラ笑います。大好きな漫才師は中川家です。でも、爆笑問題が出てきたときみたいな衝撃を受けたい。最近ではタカアンドトシが好き。標準語でも、面白い漫才でうれしい。