燐光群公演*1
『フィリピンベッドタイムストーリーズ2007』
森下スタジオCスタジオ*2
人間が産まれ、死んでいく場所「ベッド」を舞台にした短編群

  • ドゥルセの胸に1000の詩を
  • 代理母ビジネス

    <休憩7分>

  • アスワン〜フィリピンの吸血鬼の誕生〜
  • 離れられない
  • フィリピンパブで幸せを

舞台の中央にベッド。ルームメイドとルームボーイがチェストと幕のアレンジで舞台変化。
宮本裕子の体の切れに感服。わたしと同じ歳だよ
こんな方です
同じくアスワンを演じたアンジェリ・パヤニもかっこよかった。目力があって。宮本のアスワンは巫女ばりに神がかっていた。アンジェリ・パヤニのアスワンはしなやかに弾む獣性を秘めていて美しかった。惚れ惚れ。
フィリピンの俳優は年齢のせいかもしれないが、柔らかく丸まっこい筋肉をつけていた。日本の俳優は、筋肉の配置のわかるような絞られた筋肉をつけていた。フィリピンの俳優の動きはダンスをイメージさせで、日本の俳優の動きは舞踏を思い起こさせた。面白いなあ。人の体。
前半は字幕に翻弄されてちょっと大変だった。席取りを誤ってしまい、モニターと俳優をちょっと首を動かさなければ見られなかったのがミスだった。せめて目玉の動きくらいでフォローできるとよかったんだけど。ああ、もったいない。途中で字幕を投げた話もあった。せりふの意味はわからなくても演劇は演劇なんだなあというものすごく初歩の発見はすばらしかった。しかし、頭の中に目の前で起こっていることの意味を漏らさず理解したいという欲求、というかスケベ根性というか、がめつさみたいなものがなかなかクリアできなくて。本当に、階層の低い頭ですわ。休憩の頃には口も聞けないくらい疲労していた。ところがその疲労が私にとってはよかったみたいで、後半は結構はまれた。アスワンは上記の通り。中山マリもよかったんだけど、キャラが立ちすぎかなって気もした。春菊作品は終わりの祭りのようなもんだったね。性同一性障害とかフィリピンパブとか、他国の方にはどう見えるのか興味があるなあ、と思った。印象だけど、フィリピンの俳優のほうが出来がよかったかな。まあ、見慣れたものには採点が厳しくなってしまうってのもある*3
スタジオのステージを奥行き深く贅沢に使っていたため、空間割の客は少なかった。贅沢な環境で見られたことは感謝している。反面、すごいことをやっている人たちに拍手をしても、音がなかなか大きく響かないので、ちゃんと満足を伝えられたのかが、ちょっと心配。
ちょっと復習。
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人に誘われる芝居は、自分では全く選ばないものを見ることになるので、すごく楽しい。自分でチケットを買うと切って、自分の好きなものしか検索しないから、引っかかって起用がないんだよね。まあ、もともと演劇界の動向とかに明るい人間じゃないから、仕方ないってこと。

*1: 燐光群HP 

*2: 森下スタジオHP 

*3:私の頭が固いだけかもしれないが。見慣れてしまうというのは良し悪しで、俳優の印象が強くなると、役の印象を捉えにくくなってしまうような気がする。「○○役を演じている俳優△△」ではなく、「俳優△△の演じている○○役」という風に。もちろんそれが見たくて芝居を選んでいるのももちろんある。でも、劇世界に没入しきりたいときもある。そこで物語以外の人、つまりは俳優自身を見てしまったりするとちょっとさめる。でもそれは素ではなくて、灰汁や歪みを乗り越えた、「味」と呼ばれる、一朝一夕には身につかない得難い物だったりするのだけど。楽しみと阻害物とが同居しているようなものだよ。そんなこと気にして芝居は見ていないんだけど、終わってからなぜ乗れなかったと考えてみてのことなんだけど。年嵩の俳優ほどその傾向は拭いがたくなるのは、キャリアを重ねれば仕方のないことだと思うし、ベテランが「化ける」ことも難しいだろう。それでもやっぱり燐光群のベテラン俳優で感動するのは、実はコロスをしているときだったりする。または演出上無人格の舞台俳優になっているときなど、すごくぐっと来るときがある。ちょっとフェチ?