別役実はひさしぶり

燐光群の芝居『壊れた風景』を見に行く
入場したとき、舞台上のバスケット、蓄音機が見えていたので、ルノアールチックなピクニックを想像していたので、実際始まってみてそうでもないので肩透かしを食ってしまった。
でも、別役実なせりふ運びは楽しいなあ。こそあど。あれがあれして…、ですからあれであれなんでですよ。指示代名詞の迷路。上滑り。ボタンの掛け違え。会話の関節外し。せりふの組み立ては軽妙なんだけど、最初のほう、舞台上に2〜4人まではしんどかったな。発言が重め。人数揃ってからは気にならなくなったが。時に、稜線みたいなラインとパラソルは生きてなかったんじゃないか?ブロック塀だし落書きみたい。昭和の近所の空き地的な雰囲気をかもし出していた。狙いなのかな。
終劇後の挨拶時にも食べ物をもぐもぐしていたので、客がはけるとき、ピクニックシート上の食べ物を観察して帰っていった人が多かったみたい。ま、わたしもだが。
演出については、演出意図に沿っているのだから、観客の好みかそうではないかという話になってしまうのだが、軽妙さが出にくいのは、この小屋の特徴から来てしまうところもあったのかもしれない。客席と舞台が近く、大変見やすいのだが、反対にこの近さ故に、俳優の緊張感、現実感、肉体性ををダイレクトに観客に伝えてしまう。俳優の滴り落ちる汗が、劇へののめり込みを阻む場合もあるみたいだ。クール、とか、浮遊感とかには合わない。それでもなおかつ引き込んでしまうくらいのパワーが舞台上にあればいいという見方もあるけど。立ち芝居には照明がが近い(天井が低い)のかなと、ちょっと思った。傾斜のついた客席の最上段はエアコン直下ってこともあ利、観客を気遣ってか、今回の公演はあまりエアコンきかせていなかったし、役者さんにはきついコンディションだったかも。反対に、近さ故、はまれば強烈な引きを生む。皆でバスケットを開き始めて、何が入っているんだろうと興味を引かれた劇中の人物と一緒に、私も宴が繰り広げられるピクニックシートの真ん中にひきつけられた。劇中人物たちが車座になって、背中のバリケードで中心は見えない。でもそこに引力が発生していたらしく、私は前半にない引きを感じた。舞台上の車座の、そのまた一つ外側の人垣になったかような観客。小さい劇場ならではの一体感があったと思う。
SPACE雑遊が、舞台の自由度が高いすばらしい小屋であることは、燐光群プロデュース公演『組曲 二十世紀の孤独』3公演でわかった。
帰りに連れと今日見た芝居の話をした。ああすればこうすればと自分のやりたい舞台展開を話す。セット、衣装、持ち道具…。なんかイメージ刺激する戯曲だったみたい。別役実恐るべし。そしてパズルのような劇空間への創造を刺激するSPACE雑遊のこれからの展開もとても楽しみだ。そしてその可能性を示した、燐光群のステージワークの多彩さ。観劇直後は複雑だったが、三部作見てよかった。