テレビハードウォッチャー
といえばナンシー関。大好きだったなあ。死んじゃったけど*1。
「これ、どーなん?」と思っていても説明できない違和感に、答えが帰ってくる快感があったな。
テレビを見て、私的におもろいなーとか、おかしいんちゃうかと感想を持って、少し時間が経ってから、ナンシー関の書くテレビ批評を読んでひざを打つという、テレビの楽しみ方があった気がする。
これは、テレビだったからできた楽しみ方だった。そして、ナンシー関というキャラと筆力が傑出*2した書き手がいたから実現した楽しみ方だった。自分のテレビに関する感想を積み上げても決して得られない快感だ。
「それなら自分で書けばいいじゃない。」という方がいるが、それとこれとはまったく別のお話。わたしの持っている欠乏感は、面白い批評が読みたいってこと以上に、ナンシー関の書き物が読みたいってところにあるんだから*3。テレビみたいなものを扱って下品なところがない文章にはなかなかあえなよ。
今日は『ナンシー関の「小耳にはさもう」ファイナル・カット』を読んだもので、さみしくなってしまった。
ブログでも、紙媒体でも何でもいいから、またそんな誰かのテレビの話に出会えるといいなあ